[number-0000005] 作品名:愛魂 – アイコン – サイズ:A1 価格:¥450,000

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作品イメージ

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作品の世界観

作品名:愛魂 – 祈りと再生の記録 –

作者:MADARA

私はこの作品に「愛魂(アイコン)」という名を与えた。
それは、長く私の中に息づいてきた「愛」というテーマが、痛みと祈りを経て、新たな次元へと昇華した瞬間の記録である。
愛は、これまでも私の創作の中心にあった。
だが、この作品に宿る愛は、かつてのような温もりややさしさだけではない。
それは、喪失の中から生まれた、深く静かな「魂の響き」すなわち、命そのものの躍動である。

東日本大震災の日、私は日常の只中で、愛する者たちを守るために走り続けた。
崩れ落ちる家屋、迫り来る津波、絶え間ない恐怖の中で、人の命の儚さと、祈りの強さを知った。
その後も長く、失われた声と共に生き、夜の闇の中で幾度となく筆を握ることをためらった。
それでも、心のどこかで「描きたい」という微かな灯が消えることはなかった。
その灯が、時を経て、再び形を求めたとき、私はこの「愛魂」が頭の中にぼんやりと浮かんだのだ。

制作の初め、私の胸の奥でひとつの感覚が波打った。
それは、震災の記憶と共に生きてきた「魂のうねり」だった。
泣き、怒り、祈り、そして沈黙の中でようやく見つけた微かな光。
私はその感覚を、言葉ではなく、色で表そうとした。
青は祈り。緑は生命。紫は記憶。そして紅は鼓動。
それらの色は、私の心の奥で絶えず揺れながら混ざり合い、ひとつの命の姿を成していった。
その命の名こそ「愛魂」である。

最初に筆を入れたのは、白から流れるように生まれた青だった。
透明で、静謐で、それでいて底には深い祈りがあった。
それはまるで、あの日の空を見上げたときの雲と空の合間のよう、言葉にならない静けさのようだった。
そこに重ねた緑は、土と風の匂いを伴う生命の息吹。
喪失の後に芽吹く希望の色である。
それらの層の上に、私は紅を置いた。
紅は熱く、まるで心臓の鼓動のように画面の中で震え、そして生き始めた。

だが、この作品の中心に宿るのは、やはり「墨」である。
黒は影であり、祈りであり、そして生の証だ。
筆跡術(Hisseki-jutsu)によって、私はその一瞬に全てを託した。
筆先がキャンバスに触れる瞬間、私は何も考えていない。
愛が筆を握り、魂が線を走らせる。
その瞬間、私は「描く者」ではなく、「描かされる者」となる。
それは、命そのものの働きであり、祈りの呼吸でもあった。

墨が乾くとき、そこに現れる微かな揺らぎは、まるで過去の涙が光へと変わる瞬間のようだった。
紅はその周囲に滲み、溶け、混ざり合いながら、新しい「生」の形を作り出していく。
震災の記憶を抱えたまま描いたこの作品の中で、墨と紅は「死」と「生」、「静」と「動」を繰り返し往復している。
それは、失ったものへの鎮魂であり、今を生きるものへの祝福でもある。

私にとって「愛魂」とは、「愛の痛み」と「魂の希望」が同時に呼吸している場所である。
愛するということは、ただ抱きしめることではない。
それは、耐え、赦し、祈り、そして手放すことでもある。
それでも人は、再び愛を選ぶ。
私は、この作品をその「選び続ける意志」として描いた。

筆を動かすたびに、私は音を聴いていた。
青が奏でる静けさ。緑が呼吸する安堵。紫が語る記憶。紅が打つ鼓動。
その旋律が重なり合い、やがて黒の墨がその中心で静かにすべてを束ねていく。
墨は沈黙の中の真実であり、「言葉を超えた言葉」である。
私は、言葉では届かない場所にこそ、愛を伝えたいと思っている。

キャンバスの上で揺れる黒の筆致は、私の「魂の核」そのものだ。
それは形を持たず、しかし確かに生きている。
筆を止めた瞬間、絵の中心から微かな震えを感じた。
それは、私の中の深い場所から響く、「まだ見ぬ愛」の気配なのだとおもう。

「愛魂」は、単なる作品ではない。
それは、祈りであり、再生の証である。
震災を越え、喪失を越え、それでも筆をとり続けた時間のすべてが、この一枚に宿っている。
愛とは、生かされているという実感そのものだと、私はこの作品を通して腹落ちした。
色の層は、まるで人生の断層のようであり、光と影が交わるその隙間は、私の祈りみえる。

この作品を前にしたとき、見る者の心の中に、小さな灯がともることを願っている。
それは、他者を思う優しさであり、自らを赦す静けさでもある。
光の角度や見る距離によって、印象が変わる。
それは、「愛の見え方」が人によって異なることを示している。
しかし、その奥にある「魂の震え」は、誰にとっても同じだ。

「愛魂」は、私が世界に向けて放つ一つの呼吸であり、テーマにもなった。
それは、書道とも絵画ともいえない、新たな筆跡。
「祈りとしてのアート」という私の信念の象徴である。
筆は道具ではなく、心を導く媒介だ。
愛が流れ、魂が踊り、そして静寂が訪れる。
そのすべての瞬間が、私にとっての「生」であり、「愛」である。

描き終えたとき、私は深く息を吐いた。
そして、静かに悟った。
「愛魂」は、私の中で長く沈黙していた祈りの姿が、ようやく光の中に現れた瞬間の記録なのだ、と。

制作秘話

愛魂(アイコン) 制作にあたり

「愛魂(アイコン)」は、私にとって「ひとつの目覚め」だった。
書道家として長く生きてきた私にとって、墨と筆は呼吸のように自然なものであり、それ以外の素材を使うことなど考えたこともなかった。
墨は命の液体であり、筆は魂の導管。
しかし、ある日、私は気づいた。
自分の中で「書道は墨以外を使ってはならない」と思う心そのものが、すでに枠をつくり、自由を閉じ込めているのではないか、そもそも私は絵描きでもあると。

震災を経て、私の中で「生きる」という行為の意味は大きく変わった。
崩れ落ちた家、静まり返った街、そして今まで見ることのなかった星に照らされる街のがれきと、息をのむような夜の闇の中で、私は祈りだけを頼りに生きていた。
失ったものの重さと、残された命の確かさ。
その狭間で見つけたのは、「美しさとは、生き延びる力そのものなのだ」という感覚だった。
その感覚が、私の手を新しい表現へと導いていった。

初めてアクリル絵の具を手にしたとき、私は小さな違和感と共に、深い呼吸をした。
それは墨の冷たさとは違い、光と空気を抱き込むような柔らかさと深い濃度があった。
乾くまでの時間、流れ、香り、それらすべてが「生きている」と感じた。
筆跡ではなく、呼吸のような線。
書ではない何か、しかし確かに「私の心」がそこにあった。

最初に選んだ色は白と青だった。
白の静けさを持ち、しかし底に祈りを秘めた青。
その一線を引いた瞬間、私は自分の中に長く沈んでいた沈黙が溶け出していくのを感じた。
次に選んだのは緑、命の循環。
そして紫は記憶、紅は鼓動と、心の中で思いをはせ、色をキャンバスに垂らしていった。
それらの色が重なり合い、混ざり合い、私の中の混沌が映し出しだされるようにさえ感じた。

私は思った。
「書とは墨で描くことではなく、心を映すことなのだ」と。
伝統を守ることは尊い。
だが、伝統とは「固定された形」ではなく、「生き続ける流れ」でなければならない。
そもそも私は伝統の横道を歩いてきた人間でもある。
だからこそ、アクリルもまた私にとって「祈りを表すための新しい墨」になった。

描き進めるうちに、震災の記憶がふいによみがえる瞬間があった。
波の轟音、砕けた瓦礫の匂い、夜明け前の冷たい空気、所々にある白い雪。
それでも、そこには「生きている」という感覚が確かにあった。
その実感が、青を深くし、紅を燃え立たせ、墨に沈黙を与えた。
筆跡術(Hisseki-jutsu)の呼吸を保ちながらも、私は「描く」というより、
勝手に手が動いた感覚だった。

完成した面には、静けさと躍動が同居していた。
青が祈り、緑が息づき、紅が鼓動を打つ。
墨はすべてを包み込みながら、静かな中心を保っている。
それはまるで、光と影、死と生、過去と現在がひとつの呼吸の中で共存しているかのようだった。

「愛魂」とは、私にとって「愛と魂が再び出会う場所」だ。
愛は与えるものではなく、流れ続けるもの。
魂は形ではなく、響き。
その二つが溶け合うとき、そこに生まれるのは「祈りのかたち」なのだと思う。

私はこの作品で、何かを主張したかったわけではない。
むしろ、心の奥に沈んでいた“声にならないもの”を静かに浮かび上がらせたかった。
愛は言葉よりも深く、形よりも広い。
それを描くには、墨だけでは足りなかった。
だから私は、アクリルを使った。
それは伝統からの逸脱ではなく、「生命としての表現」への帰還なのだと、自分に言い聞かせていた。

筆を置いたとき、私は静かに思った。
「これは書ではなく、呼吸だ」と。
震災を越え、痛みを越え、ようやく辿り着いた一枚の中で、
私は「生きること」と「愛すること」が、実は同じ意味であると、そこへ行きついた。

「愛魂」は、その気づきを刻んだのです。
それは、祈りであり、解放であり、そして静かなる希望の記録。
墨と色が溶け合い、光と影が交わるその中心に、私は確かに「今」を表現できたと思っている。

漢字の意味

「愛」 — Ai(Love)

1. 字形と語源

「愛」という字は、古代の甲骨文字や金文では、人が胸の前で両手を重ね、心を捧げる姿として描かれていました。
つまり、「愛」は本来「心を込めて相手に向かう行為」を意味します。

構成要素を見ると、

  • 「爫(そう)」:手を差し伸べる形。触れる、包む、慈しむ。
  • 「冖(べき)」:覆う・守る。
  • 「心」:感情・魂の中心。

これらが一体となり、「心を包み込むように守り、与えること」――それが「愛」の原義です。

2. 精神的・象徴的意味

「愛」は“向かうエネルギー”です。
自分から他者へ、過去から未来へと流れる「温度のある力」。
そのため、静的な感情ではなく「生きている運動」そのものを表します。

書の世界で「愛」を描くとは、
「心の内側の光を、筆を通して他者へ渡すこと」でもあります。
それは個人的な感情を超え、人間としての「共鳴の祈り」に近い。

3. 哲学的解釈

「愛」は、与えるものではなく「流れるもの」。
掴もうとすると消え、手放すと満ちる。
その矛盾の中に、人が生きる意味が潜んでいます。
だからこそ、MADARA作品における「愛」は、単なる情愛ではなく、
「存在の息づかい」「生命の循環」として描かれています。

【字形の成り立ち】

「愛」という字は、古代の字形では「心」「手」「受」「夂(あし)」などの要素が含まれており、
「心を寄せ、手を差し伸べ、歩み寄る」という動作を表します。
つまり、「愛」とは本来「動く心」であり、「相手へ向かう行為」なのです。

【意味】

・慈しみ(compassion)
・思いやり(affection)
・絆(bond)
・命を包む力(the power to embrace life)

日本語の「愛」は、単なる恋愛や感情ではなく、
「他者を思い、見返りを求めずに寄り添う心」を意味します。
静けさの中に温もりを持つ、深い情の表現です。

【精神的象徴】

「愛」は、「生命をつなぐ力」「祈り」「赦し」「受容」の象徴です。
仏教では「慈悲(じひ)」、キリスト教では「Agape(無償の愛)」に近い概念でもあり、
すべての文化に共通する「光の感情」といえます。

書としての「愛」は、線の太さや緩急に生命感が宿りやすい字です。
強く書けば情熱に、柔らかく書けば慈愛に変化します。
私が白で描いた「愛」は、見えない愛、つまり「存在の根」に近い「無償の愛」です。


「魂」 Kon / Tamashii(Soul, Spirit)

1. 字形と語源

「魂」は、「云(うん/声や息)」と「鬼(き)」から成り立っています。
古代では「魂」は「人の命の中に宿る気(いのちの息)」を指し、
「魄(はく)」と対をなす概念でした。

  • 「魂」=天から授かった“動的な霊”
  • 「魄」=地に留まる“静的な霊”

つまり「魂」とは、天と人とをつなぐエネルギーであり、
肉体を超えて流動する「生命の光」です。

2. 精神的・象徴的意味

「魂」は形を持たないもの。
しかし、確かに“感じる”ことができる存在。
揺らぎ、震え、そして呼吸する、その在り方はまるで墨の流れのようです。

書道において「魂」を描くとは、
「見えない生命の波動を可視化すること」。
筆跡術(Hisseki-jutsu)はまさにその技であり、
筆先の震えひとつに祈りと鼓動が宿ります。

3. 哲学的解釈

「魂」とは、個人の内部に閉じたものではなく、
すべての命を結ぶ「共鳴体」です。
そこには死も生も、過去も未来も区別がない。
「魂」は、時間や形を超えて存在する「永遠の呼吸」。

MADARAの作品における「魂」は、
震災の記憶と再生の祈りの中で磨かれ、
「生かされている」という感覚そのものとして現れています。

作品詳細

項目内容
作品ベースウッドキャンパス
メイン素材木材、和紙
サイズA1 33.11in(841mm) × 23.39in(594mm)×0.98in(25mm)
使用画材墨汁、アクリル絵の具
作品の仕上げ木製キャンパスの上に、和紙(書道用紙)を貼り、アクリル絵の具の白色と、墨汁の混合で仕上げています。
国内外配送対応について・海外出荷対応可能:運送会社に指定が無ければFedExにて出荷
・日本国内の配送:運送会社に指定が無ければヤマト運輸にて出荷
出荷時の梱包について簡易包装や重包装など、ご要望に応じた梱包も対応させていただきますので、詳しくはお問い合わせください。
送料についてアート作品対応運輸を使う、保険をかけるなど、購入者と要相談のうえ決定します。
作品の補償について作品は、販売時の状態そのままでのお引き渡しとなります。美術品保険等のご希望がありましたら、ご相談も承ります。
お支払の方法作品価格+保険料(オプション)+送料が、お支払価格となります。お支払はカード決済がご利用いただけます。

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