書道アーティスト「斑( MADARA )」とは

雅号:斑(MADARA)

・本名:作品やコンセプト自体に焦点を当てたい為、非公表
・生年月日:1972年5月6日 日本 福島県生まれ

履歴
1972年5月6日

・福島県(日本)南相馬市(旧原町市)に誕生。
母親によると、1歳の頃には既に絵を毎日描いていたそうです。

1975年頃(3~4才の頃)

・写生画や空想画を描き、両親が額に入れて、部屋に飾り始める。記憶には無いが、私はとても喜んでいたらしい。

1977年5月(5才)

・日本書道連盟師範の書道教室入門。書道習い始める。

1978年(6才)

・幼稚園に入園、お遊戯などには参加せず、一人自分の机で絵を描き、自分で教室の後ろに貼るという、身勝手ながら、絵を描く毎日を過ごす。

1979年(7才)小学生時代

・小学校に入学、美術(図工)の時間以外にも、学校で絵や書を描いては、先生が美術展などに出展していた。その為、ほぼ毎月、美術展での入賞による授賞式への参加や、学校の全校集会での授与式が続き、地元新聞でもよく掲載されていた。そんな小学校生活が続いた。
・書道作品、絵画作品の受賞履歴は、6年間で合わせて軽く50以上を超えた記憶があります。(賞状などの受賞履歴は、のちの自宅火災により、全消失する)

1985年(13才)中学生時代

・中学校の時、授業以外でも絵や書を描き、先生により関東の美術展へ作品を出展され、特選などを受賞。先生に連れられ授賞式に参加していた。
・書道作品、絵画作品の受賞履歴は、3年間で合わせて30を超えた記憶があります。(賞状などの受賞履歴は、のちの自宅火災により、全消失する)

1987年(15才)

・書道の最高段位の8段を取得、以後は個人にて書道を歩み始める。

1988年(16才)高校時代

・趣味として絵や書道を描き、当時3Dモデルにも専念、作品がプラモデル雑誌などに掲載される
・学園祭用の学級旗のデザイン提案で、エアブラシを使った、海外人気アーティスト達の肖像画のフォトリアリズムアートを提案したところ、採用となり、3週間で作品を仕上げた。その学級旗が、当時の市長の目に留まり、学園祭後にこの学級旗が市長が持ち帰る事となった。

1991年(19歳)専門学校時代

・絵ばかり描いて来ていたため、多摩美術大学を受験するも不合格。絵が描けなくなるため浪人はせず、東北文化学園大学に入学、デザイン学科を選考する。
・私の作品が好きな個人の収集家へ定期的に作品を販売

1994年(22才)就職

・宮城県仙台市に就職、デザイン家具製作会社にデザインプランナーとして勤務
・私の作品が好きな個人の収集家へ定期的販売は行われている。

1995年(23才)実家へ帰省

・父親の心境を知り、会社を手伝うため、実家へ戻り、父親の仕事を手伝う。
・父親の仕事を手伝う傍ら、アーティスト活動を広げる為、アトリエを自宅に設置。絵や書道作品の製作を再開する。
・ドラマーでもあったため、ポップスバンドを結成。以後数年にわたりインディーズバンドとして、毎週、ライブハウスでのイベント活動と、3枚のシングル、2枚のアルバムをリリース。バンドのクリエイティブディレクターとレコーディングディレクターを担当

1998年(26才)店舗出店の仕事をする

・実家の事業を拡大し、リアル店舗ブランドを立ち上げ出店。店舗デザイン、ブランディングディレクターの役割を担う。
・看板商品に書道の技術を生かした製品を販売開始。
・人生の伴侶と出会う。
・仕事に集中する為、私の作品が好きな個人の収集家への作品販売を一時終了するが、個人の趣味での製作として続ける。

1999年(27才)店舗を出店、結婚

・2店舗目を出店。デザイン、ブランディングを担当
・インターネット上へECショップを構築、通信販売を開始する。
・TVCMを開始、制作を担当
・地元各メディアに出演、スタジオで実演による紹介などを行う。
・最愛の妻と結婚。結婚式では、私の作品を使用した式次第や式場のデザインが施された。

2000年(28才)店舗を出店する

・3店舗目を出店。デザイン、ブランディングを担当
・店舗看板に子供をモチーフとした作品を制作、採用された。
・書道をするうえでの文字の学問より「筆跡学」を知り、未来の運勢を切り開くと言う「筆跡術」に強く惹かれ、書道に取り入れる。当時のネット上での検索において、書道に筆跡術を取り入れている書道家はいなかった。

2002年(30才)

・アプリケーション開発会社の代表と出会い、在庫管理システムやその後、受注管理システムの製作などを依頼する。(事情により、後にこのアプリケーション開発会社へ入社する事となる。)
・店舗製品のデザインイメージを制作、パッケージデザイン、店舗デザインに採用。

2003年(31才)EC進出最前線、雅号を月颯と名乗る

・楽天市場やYahoo!ショッピング、ビッダーズ、Exciteショッピングなど、ECモールに出店する。
・1店舗目を移転、拡大リニューアル出店。デザインイメージや内装デザイン、店舗レンダリングなどを描き採用される。
・書道家として、画家としての雅号「月颯(Tsuki-kaze)」を名乗る。

2004年(32才)長男誕生

・書道を活用した製品受注数が、1日400件に到達。1件につき、命名書を3枚書くため、ほぼ毎日1200枚の書道を行っていた。1か月に20,000~30,000枚の命名書を書いていた。
・第一子、長男が誕生
・自宅アトリエを拡大、空想画や、書道作品を作成し、企業デザインイメージに貢献。

2005年(33才)受賞

・楽天市場にて、ショップ・オブ・ザ・イヤー2005を受賞。書道を使用した製品の販売のピークを経験する。
・その製品においてはWikipediaで、日本で初めて販売したとして掲載されていた。
・ECショップのUIデザインの作成と店舗イメージの統一を進める。

2006年(34才)店舗を出店

・4店舗目をオープン。店舗デザイン、ブランディングを担当
・楽天市場「スーパーオークション」設立期において、出店店舗の代表メンバーとして選出され、三木谷浩史社長を交えた運営方針・制度設計に関する議論に参加。

2007年(35才)メディア出演

・テレビ朝日のバラエティ番組「アメトーーク!」に、製品の紹介で出演。
・フジテレビの朝のニュース番組「めざましテレビ」に製品の紹介で出演。

2008年(36才)長女誕生

・第2子の長女誕生
・娘が生まれた事による大規模アート作品の製作を開始。

2009年(37才)自宅火災

・落下物による火災が原因で自宅、アトリエが全焼、作品すべてが消失。この落下物とは隕石であった。

2010年(38才)

・日本テレビ系列、バラエティ番組「秘密のケンミンshow」が取材を開始
・自宅の再建、アトリエの再建を開始

2011年(39才)東日本大震災

・2月26日:秘密のケンミンshowにて放送、一晩で半年先以上の予約が入った。その後も実店舗も含め製造が追いつかない状況になる。
・3月11日:東日本大震災により罹災。原発の影響も受け、帰宅困難地域になり、翌日より避難地巡りになる。
・家族、親戚の行方不明者の捜索に半年を費やす。
・福島市に住宅を借り、工場、店舗の再建をスタート。
・避難生活の状況下によりアトリエの設置は断念する。

2012年(40才)店舗を出店

・5店舗目を出店。店舗デザイン、ブランディングを担当。
・震災後からはアトリエが無い為、また、震災によるPTSDにより、作品の製作は一時中断。

2014年(42才)本社工場の移転

・本社工場を移設、オープン。工場の設計、デザイン面を担当。
・工場建設に伴い、隣接地に引っ越し。PTSDを克服するべく自宅へアトリエを設置し、絵や書道作品の製作を開始する。
・作品を購入していた個人客が、津波により自宅もろとも亡くなっていたことが判明。

2015年(43才)店舗を出店

・6店舗目、7店舗目を出店。店舗デザイン、ブランディングを担当。
・アトリエにて立体物の製作も始める。
・絵や書においては、震災、津波、原発の爆発による精神の圧迫により、作風に影響。描けない苦悩が始まる。

2016年(44才)店舗を出店

・8店舗目、9店舗目を出店。店舗デザイン、ブランディングを担当。
・立体物の動画制作などを行い、YouTubeやInstagram等で公開を開始

2017年(45才)店舗を出店

・10店舗目、11店舗目を出店。店舗デザイン、ブランディングを担当。
・絵や書にも挑戦するが、死のイメージが近くにありすぎ、表現を拒んでしまうため、制作しても廃棄する日々が続く。

2019年(47才)倒産、転職

・父親の経営する会社が、東京電力の賠償基準の変更により、企業賠償制度の打ち切りとなり倒産。福島復興の光になるプロジェクトを断念する。
・20年間で、ECと実店舗において、書道を利用した製品の販売数が約80万件近くあった事が、賠償関連の書類を作成する為の調査にて判明、約80万人分の命名書を筆跡術書道で作成した事となる。
・転職の為、古くから付き合いのあるアプリケーション開発の会社に入社のため神奈川県へ移住。アプリケーションのUI,UXデザイン、SEOを中心に担当する。

2023年(51才)起業

・アプリケーション開発会社で取締役を務めながら、アート作品の製造販売をする為の「株式会社クラフォート」を設立。
・神奈川県の松田町にアトリエを設置。作品の制作に取り掛かる
・オリジナルデザインのアパレル製品の製作販売をするブランド「KANJI TOKYO」を発表。絵や書道の作品制作を再開させる。

2024年(52才)アーティストとしての再出発

・これまでのアーティスト活動や震災の経験と悩みも全て含めて、全てが「私なのである」と考えを改め、雅号を色々な色が交じり合っている様子の事を表す「斑(MADARA)」と改名

2025年(53才)

・フランスのアートギャラリーへアーティストとして登録、作品等の販売を開始、現在に至る。
・書道ワークショップを公開。
・BtoB作品の製作事業を公開

現在に至る


書道家としてのアーティスト宣言

Artist Statement – by MADARA

私は、筆で「書く」のではなく、
筆を通して「心を映す」者である。

書道は、単なる文字を書く技法ではない。
墨の沈み、紅の揺らぎ、筆の呼吸
それらのすべてが、人の想いとともに生きている。

私は、古来より続く書の道を敬いながらも、
その伝統の枠に留まらず、
現代の感情や祈りをのせて新たな命を吹き込みたい。

私にとって書は、言葉を超えた対話でもある。
一画一画の中に、愛、孤独、願い、赦し、
時には負の感情さえ息づく。
その線は人の心と同じく、まっすぐには進まず、
時に震え、時に跳ね、時に滲む。
しかし、その揺らぎこそが「生きている証」である。

私は、筆跡術(Hisseki-jutsu)を用い、
書に祈りと運勢の向上を込める。
書とは、ただ美を描く行為ではなく、
見る者の中に「力」を呼び覚ます行為だと信じている。

私の筆先が描く彩は、情熱であると同時に、癒しでもある。
夜の静けさの中に灯る微かな光
それは、誰の心の奥にもある温もりの象徴だ。

書とは「線を描くこと」ではなく、「心を結ぶこと」。
私は、紙の上に愛を刻み、人と世界をつなぐ。

たとえ一枚の作品が完成するまでに何度も挑み、
何度もキャンバスを作り直し、何度も書き直すことがあっても、
その時間のすべてが「祈り」であり、「修行」であり、「創造」である。
そのすべての色が交じり合って斑ている事こそが
私であり「斑(MADARA)」である。

私は、書道家であり、アーティストである。
技に生き、心に還る。
静寂の中に宿る彩のように、
私は今日も、筆をとり、愛を描く。

書道アーティスト「斑( MADARA )」の歩み

「斑( MADARA )」は5歳のとき、日本の伝統芸術である書道を学び始めました。全日本書道連盟の師範のもとで修行を積み、幼少期から才能を発揮しました。少年時代には、美術展や展覧会に出展するたびに必ず賞を受賞し、高く評価されました。

2000年、28歳の斑は「筆跡学」と出会いました。筆跡学とは、文字の書き方から性格や相性、生き方の特徴を分析する学問です。その中でも、書き方を変えることで未来の運勢を良い方向へ導く「筆跡術」に強く惹かれました。斑はこの技術を深く学び、自身の書道に取り入れ、新たな表現を追求しました。

筆跡術書道とその独自のアートスタイル

斑は、筆跡術を応用した独自の書道スタイルを築きました。特に、人生で何度も書く「自分の名前」を筆跡術に基づいて書くことで、運勢を向上させると考えました。この発想から、新生児の名前を特別にデザインする「命名書」の制作を始めました。

斑の命名書は「子供の将来の運勢を向上させる」と評判を呼び、最大で1日に 400 件の注文を受けたこともあります。18年間で制作した命名書は約80万枚にのぼり、その実績は驚異的です。

筆跡術は単なる書法ではなく、健康運、金運、成功運、才能運を高める目的で書かれる特別な技術です。この日本独自の術式と伝統的な書道を融合できるのは、斑だけです。その技術は非常に貴重なものです。

現在斑は、「日本で唯一の筆跡術書道家」として、 KANJI TOKYO で活躍しています。彼は名前や言葉をテーマにしたアート作品を制作しています。湘南・平塚の工房で、一人一人の未来の運気向上を願いながら、伝統と革新を融合させた作品を心を込めて仕上げています。

書道アーティスト斑(MADARA)の想いをもっと詳しく

芸術的背景とアーティストになるまでの流れ

母によると、1歳の頃からクレヨンで落書きをしていたそうです。母はいつも画材と紙を用意してくれていたので、毎日絵を描いて育ちました。5歳の頃から、全日本書道連盟の師範のもとで書道の修行を始め、幼い頃からその才能を発揮していました。少年時代は、美術展や展覧会に作品を発表するたびに賞や高い評価を受けていました。15歳で書道の師範資格を取得し、以来「月颯(つきかぜ)」という雅号を名乗り、独自の書道の道を歩んでいます。

2000年、28歳の時に、筆跡学(筆跡鑑定)に出会いました。筆跡学とは、文字の書き方から性格、相性、ライフスタイルなどを分析する学問です。特に、筆跡を変えることで将来の運勢を良くすることができるという筆跡鑑定に魅了されました。私はこの技法を深く研究し、自身の書に取り入れ、新たな表現を追求し、「必石術」を確立しました。必石術とは、人々の幸せを願う祈りの気持ちを込めた書道です。

2002年、当時勤めていた会社で販売していた「一升餅」に、子供が立派な人間に育つようにと願いを込めて、必石術で名前を書き始めました。この商品は大ヒットとなり、多くの企業が同様の商品を発売しました。20年間で80万個を販売し、80万人の名前を必石術で書いたことになります。

しかし、福島在住中に2011年の東日本大震災で家族や親戚24人を失いました。さらに、原発事故の影響で会社も自宅も立ち入り禁止となりました。それでも、一升餅屋を続けたいと、移転・再出発を果たしました。しかし、2018年に補償基準が変更され、原発事故による損失まで補償対象外となり、勤めていた会社も倒産。その後、趣味で書道を続けていた神奈川県へ移住し、2023年に書道関連商品やアクティビティの販売を行う事業を始めました。

事業開始に伴い、筆名を「月颯(つきかぜ)」から「斑(まだら)」(様々な意味が混ざり合ったもの)に改名し、現在は筆名「MADARA」として活動しています。

探求するアートへのテーマとコンセプト

私のアートの中心には、常に「愛」があります。それは、東日本大震災を経験し、大事人達を失い、悩み、苦しみ、仕事でも再起を願いましたが、叶わなかった。それを助けてくれたのが、私の友人でした。そして、私の精神をずっと守って来てくれたのが私の妻でした。私は会いを感じずには居られませんでした。そしてその愛は、個人的な愛情にとどまらず、人と人、国と国、文化と文化を結びつける「世界愛」に繋がるものだと信じています。世界にはまだ戦争や紛争に苦しんでいる国もあります。ほんの少しだけでも、相手への慈愛を感じる事さえできれば、戦争の引き金も引かれないのではないかと考えるのです。私は、書道という日本の伝統芸術を通して、心の奥深くにある普遍的な感情や願いを表現し、観る人の心に静かに、しかし確かに響くような作品を創りたいのです。

私は幼い頃から文字を美しく書くことに魅了され、書道に没頭してきました。しかし同時に、絵を描くことも好きで得意でした。その二つの表現方法をどうにか結びつけることはできないか――。その思いが積み重なり、私は「現代書道アート」という新しい領域を探求するようになりました。従来の書道が持つ力強さ、静けさ、精神性に、絵画的な美しさや色彩、装飾性を融合させることで、より多くの人に直感的に伝わる表現を生み出せると信じています。文字の造形だけでなく、余白や色彩、構図そのものに「生きた心」を宿そうと試みたり、単なる「文字を書く」という行為を超え、観る人が心で感じ取れる「物語」や「情緒」を、作品全体から受け取っていただけるよう思いを込めて書いています。

私にとって書道とは、単なる伝統文化の継承ではなく、現代において新しい可能性を切り拓く「生きた芸術」です。だからこそ、私は自らの作品を「現代書道アート」と呼んでいます。それは古典の延長ではなく、現代に生きる人々の感性と響き合う新しい芸術領域なのです。書の線に宿る力強さと、絵の色彩に宿る豊かさ。その二つが溶け合うとき、そこには言葉では伝えきれない「愛のエネルギー」が立ち現れると信じています。

私の挑戦はまだ始まったばかりです。しかし、愛をテーマに世界へ発信するこの芸術が、国境を越え、人々の心を結びつけるきっかけになることを願っています。書道アートは、世界愛を形にするための私なりの祈りであり、挑戦です。これからもその思いを作品に込め、一つひとつ筆を進めていきたいと思っています。

芸術的なスタイルやテクニックについて

私の芸術的スタイルは、独自に開拓したHisseki-jutsu書道と、書道と絵画を融合させた「現代書道アート」とでも呼べる、独自の表現です。
単なる文字の美しさや整った形を追求する伝統的な書道とは異なり、私は文字そのものを生きた造形として捉え、線の強弱、余白、墨の濃淡、さらには色彩や絵的要素を組み合わせることで、文字が持つ意味や感情を視覚的に伝える作品を作り出しています。

私の作品では、筆の運びや力の加減、墨や絵の具の濃淡の変化に特にこだわっています。例えば一本の線は、ただ書かれたものではなく、私の呼吸や心の状態、そして作品全体のリズムと調和しています。書道の基本ともいえる「線」は、呼吸をしているかのように、作品全体に生命感を与え、文字自体を見る者の心に響く存在にすると考えています。そして、その線を彩る絵画的な要素は、文字の意味や作品のテーマをより直感的に、感覚的に伝える役割を持たせています。

また、余白の使い方も私のスタイルの重要な特徴です。禅の思想に通じる「間(ま)」の感覚を取り入れ、文字や色彩の一つひとつが呼吸をしながら存在する空間を意識しています。余白は単なる空白ではなく、作品に深みや静けさ、そして観る者が自由に感情を重ねられる余地を与えます。これにより、作品は観る人ごとに異なる体験や解釈を生む、動的で対話的なアートになります。

技法面では、書道の筆致や墨の濃淡といった伝統技法を基盤に置きながら、絵画的な手法、例えば色のグラデーションや混色、テクスチャー表現を取り入れています。これにより、作品は単なる文字ではなく、文字を中心にした立体的で視覚的な世界として成立します。また、大作制作の際には、筆の速度や筆圧を変化させることで、書道ならではの力強さと、絵画的なリズム感を同時に表現しています。

私のスタイルは、伝統に敬意を払いながらも、既存の枠にとらわれず、現代的な感覚と融合させることに特徴があります。文字は意味を伝えるだけでなく、形や線のエネルギーとして人の心に直接語りかけるメディアです。その力を最大限に引き出すために、書と絵の両方の技法を駆使し、観る人に感情や思想を直接体感してもらえる作品作りを目指しています。

結果として、私の作品は、文字の美と色彩の豊かさ、余白の静けさが共存する「げんだい書道アート」として完成します。それは、観る者が作品と対話し、自らの心の中で意味を見つける体験を可能にするアートであり、私のスタイルの核でもあります。

製作の原動力やインスピレーションについて、そして、作品を通して伝えたい事

私の作品制作の原動力は、日常のさまざまな瞬間に宿る美しさや感情から生まれます。言葉や音に触れたとき、世界の広さや宇宙の壮大さを感じたとき、人の優しさや思いやりに心を動かされたとき――そうした瞬間が、私の筆を動かす大きなエネルギーになります。特に、誰かの微笑みや親切、自然の息吹や文化の深みに触れたとき、心の奥底で共鳴する何かを作品として形にしたいと強く思います。これらの瞬間は、一瞬で過ぎ去るものかもしれませんが、私にとっては胸に残るインスピレーションの源です。それを形にして見せたいのです。

書道を通じて表現する際、私は単に文字や形を描くのではなく、そこに心の動きや思考、感情のリズムを込めています。墨の濃淡や筆の運び、線の勢い、余白の取り方、場合によっては色彩や装飾の要素も組み合わせることで、文字を越えた感覚的な体験を生み出そうとしています。線の一つひとつは、私自身の呼吸や心の状態を映し出すものであり、観る人が作品を前にしたときに、それぞれの心の中で響き合うことを願っています。

作品を通して私が伝えたいのは、「愛」にまつわるさまざまな感情です。慈愛、無常、永遠、一心、不滅愛――これらはすべて、人と人、人と世界を結びつける普遍的なテーマです。人生は刻一刻と変化し、喜びも悲しみも過ぎ去っていきますが、愛の力は、人種を乗り超え、時空を超えて心に残り、次の瞬間や次の世代へとつながります。私の筆で描かれた文字や形は、単なる視覚的な美しさにとどまらず、観る人の心に温かさや希望、そして静かな安らぎを届けることを意図しています。そして、そうありたいと願っています。

また、書道と絵画を融合させた「現代書道アート」としてのスタイルは、私の感情や思想をより直感的に伝えるための表現手段でもあります。文字だけでは伝えきれない心の奥底の動きや、愛のエネルギーを、色や構図、余白を通じて立体的に表現することで、作品が観る人との対話の場となることを目指しています。言葉や形、線、色彩を通じて生まれるこの共鳴が、観る人自身の愛や思いやりの感覚と結びつき、日常の中で小さな気づきや喜びを生むことが私の願いです。

私のインスピレーションは瞬間的でありながらも、作品を通じて永続的な形を持ちます。一筆一筆に願いを込め、世界に向けて愛のメッセージを発信すること。そしてあなたの幸せを思う事。それが私のアートにおける使命であり、情熱の源です。作品は私の心そのものであり、観る人の心と共鳴することで初めて完成します。書道アートを通じて、人々の心に慈愛や希望、そして不滅の愛を届けること――それが私の原動力であり、創作の最大の喜びです。